地図・昔の上司のことば・幡ヶ谷的なにか

最近いくつかのことが自分のことでも、友達のことでもいろいろ問題は散らばっていて、みんなそれぞれ苦労をして生きていると思う。誰もが互いに持ち得ぬ宝石のようなものを持っていて、でも自分が本当に欲しい宝石はどこにあるのか?と宝の地図を求めて考えている。宝石を持つ側も、地図を握りしめている側もどちらもそれほど楽ではない。

少しずれるが、Positive thinkingという言葉、私はあまり好きではない。なぜなら「Positiveに考えねば」ということ自体が苦境に陥っているときに自分を締め付けるからだ。重力で加速度的に美しい弧を描いて落ちていくボールを止めるのはなんとも不自然なことではないか。

昔上司がやめるときに言っていたのだけど、「俺がいなくなっても、XXさんや、xxさんがいるし、彼らがもっとこの仕事をやってくれることによって、悪くはならないし、必ず自然に状況にあった形によくなっていくからそれでいいんだよ」と。

何事も、負の側面の中で、結局いい方向に向かうために、だって永久に苦しみたい人は誰もいないわけで、動いていくのが人間の本性というものであり、それは無理やり「ポジティブに考える」としなくても、底まで落ちれば人は自然に這い上がるのである。

こういうと、「がんばってポジティブに考えなきゃ」と言っている人以上に、自分の方が楽観的なんじゃないかなぁ、と思う。

昨日はふらっとシンガポールの中にある「幡ヶ谷」的な何かを求めて探検していた。誰かが薦めるバーや居酒屋じゃなくて、きっとこのへんなら幡ヶ谷っぽいだろう、というものを自分の勘で探して行ったら、やっぱりそうだった。威圧的な敷居の高さなく、気さくで外者にやさしい。でも完全にオープンで騒がしいわけでもない。

私には私の地図があって、できるのはそれを丸め込めずに大切に守っていくこと。そして、その正確な地図こそが、100個の違う宝石より価値のあるものかもな、と思ったりする。

世界がやさしい日

読んでいた本を終えて、いい小説だったのだけど、同時になぜ自分があまり本を読まなくなってしまったかを思い出した。多分感情移入しすぎてしまうのだと思う。感情移入できなければ読むのが退屈で続かないし(あるいは読めるけど覚えていない)、感情移入すると現実に結構影響を出してしまう。深ければ深いほど、小説の中の世界に自分の原体験の何かを投影している。だから現実での揺さぶりが大きくてコントロールできなくなる。

今日のシンガポールはいつまで夜なんだろうくらい暗い朝だった。無性に朝から写真が撮りたくなった。

 

Cloudy Saturday afternoon #eastcoast #Singapore

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東京にいた一人の自分

ここのところ二回くらい「人間誰もが黒歴史があるもんですよ。迷惑かけないように考えすぎじゃないですか」と言われ「黒歴史を作らずに歴史がなくなってしまった自分」みたいな話を誰かにしたんだけど、よくよく考えるとこのブログが黒歴史の全てを連綿と物語っているという事実に気づいた土曜の朝。

今回Airbnbでまた幡ヶ谷にいるんだけど、幡ヶ谷に帰ってきた途端、「この街で自分は一人でちゃんと生きていた」んだなーと思った。ボロボロでロンドンから放り込まれて、今以上に見えない未来の中をなんとか土台を作って。

それはお気に入りの焼き鳥屋だったり、幡ヶ谷三銃士(なつい)に紹介してもらった飲み屋だったり、またその飲み屋が紹介してくれる別のカフェだったり、さしたるものじゃないのだけど、そういうものが今の自分はシンガポールにまだ作れていないのだな、と思った。強いて言えばco-working spaceのカフェくらいか。どうしてもお酒はシンガポール高いので倦厭しがちになってしまうのだけど、「場所」を作っていくっていうのは、そういう努力だったよな、と幡ヶ谷を歩いていて思った。

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deployに思う

朝起きて金曜にコピペだけしてインストール待ちで終わっていた初心者用アプリをほんの10分くらいでlocalhostで動かすことができて感動したのも束の間、「お、このままこれherokuにdeployしてとりあえず動くものできましたよ」って自慢しようと思いきや、結局そのdeployに手こずったまま日がくれた。そうはいっても平日は受託の仕事や、corporate siteの方メイン、片手間でやっていたので、集中できるとついやってしまう。

やっている途中で、なんか環境整えているときにcommandありません、みたいに言われたものがちゃんと設定できたり、なんか古いやつを見ていて「本当にこれでいいのかなぁ」みたいに思っているものをアップデートできたり、最終的にエラーのままではあるが、deployそのものはできたので、遅々としてではあるが確実に進んでいるはずである。

朝、なんかdeploy時間かかるのにうまくいかないな?とか思いながら書いていたブログの元的雑文は色々不安があったのだが、なんか一日中deployまわりのうにゃうにゃを結局家でやって、ダメ人間を極めたら、どうでもよくなってきた。

笑いたいものは笑え。ひきこもっていてバカみたい。狭窄な人間になっていく不安。

でもなー、やっぱ没頭できたやつのほうが人生おもしろいんじゃないの〜?

テンペスト

ベートーヴェンを聞くたびに、こいつきっとすんごいしつこくてド変態でド・ピュアだったんだろうなぁ、となぜか思う。(詳しくは知らない。すごい人格者だったらごめんなさい。)どんな嫌な思い出がたくさんつまっていても、嫌いになれないのがベートヴェンだ。

ピアノソナタ全部聴いたことがあるわけじゃないのでなんとも言えないんだけど、好きなのはベタにテンペストの第三楽章と最近は30番の第一楽章。

今日ふとテンペストの第三楽章を弾いていた時、ふっと強烈に16分休符の存在がクリアに感じた。今まで1/16ずれて弾いていたんじゃないか?と疑いたくなるくらいに急に、ふわっとそのリズムはまさに嵐の風のようになり、ぶわーっと止まらなくなった。

spotifyで色々聞いていると、このリズムが一番強烈なのはグレン=グールドで、もう少し静にこの曲を弾く人が意外と多いのだなと思った。来週ウクライナのピアニストのリサイタルでこの曲を聞けるのでちょっと楽しみにしている。

音楽は心を込めて弾くと抑圧されていたものが発露してくる。行き場のない思いのを人はみんな持っていて、それがこもるから心を動かす音というものがなるのだろう。

何事も思い通りにはならずとも、じっと待って願って祈って、だから音はきれいになって空に消える。

そういう痛みの反対にある究極の贅沢感みたいなのはやっぱりベートーヴェンだよなぁ、と思った次第。